今日は9月6日、日曜日、「世界祈りの週間」の初日です。今週、私たちは世界中の教会に対し、地球上のあらゆる国での絶え間ない祈りを呼びかけています。神は、私たちに一つになるように招いてくださっていると感じています。ぜひ皆さんも参加してください。詳細や参加方法については、24-7PrayerのウェブサイトのGlobal Week of Prayerのページ、または日本語ではインスタグラム@24-7prayerjapanの投稿をご覧ください。
今週の「Lectio365」では、「世界祈りの週間」のテーマを探求し、ピリピ人への手紙2章、特に10節の「…イエスの名によって、…すべてが膝をかがめて」という箇所を取り上げます。今週一週間、イエスに与えられたさまざまな名前について黙想し、自分と自分のコミュニティー、国の上に、イエスの名を宣言していきます。
私たちがイエスの名によって大胆に祈るとき、これらの聖句は、世界的な「王なる祭司」(1ペテロ2:9)である私たちを、礼拝から行動へと導いています。祈りの場所から、私たちは謙遜な奉仕と自身を捧げる愛をもって王なる祭司であるイエスに倣うよう招かれています。
今、祈りに入る前に、ひととき立ち止まり、心を静めます。息をゆっくりと吸い、ゆっくりと吐きながら、散らばっていた思いを一つに集め、神の臨在に向け直します。
祈り
主イエス、あなたはすべての上に高く上げられました。あなたの名は、天と地と地の下にあるあらゆる支配、力、支配者にまさるものです。
今日、私たちはイエスの名によって祈ります。すべてのひざがかがめられ、すべての舌が、イエスが主であると告白しますように。私たちに力があるからではなく、あなたにそう実現する力があるからです。私たちの計画が十分だからではなく、あなたの力が無限だからです。
祈り
今日、私は神の憐れみを喜び、詩篇103篇13~14節の言葉に込められた、古来より続く神の民の賛美に加わります。
父がその子をあわれむように主はご自分を恐れる者をあわれまれる。
主は私たちの成り立ちを知り私たちが土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。
詩篇 103篇13~14節(新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)
祈り
今日、私はパウロによるイエスについての記述の中でおそらく最も素晴らしい一節について思いを巡らせています。この一節は、イエスの謙遜、犠牲、従順の模範を私たちに与え、人々との関わりのあり方を示しています。
キリスト·イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス·キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
ピリピ人への手紙 2章5~11節(新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)
5節の「キリスト·イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい」という言葉に心を動かされます。「思い」という言葉は、「態度」とも訳せます。キリストは、私が単なる理解や頭での同意にとどまるのではなく、実際の生き方に現していくことを望んでおられます。ここを読むと、一致、調和、そして謙遜こそが、キリストが私に求めている生き方であると思えます。
私がイエスの似姿において完全にされることは、この地上での人生では決してないでしょうが、イエスと同じ態度を身につけることを選ぶことはできます。私の態度は謙遜を土台としたものであり、その謙遜は人々との関係の中に表れるはずべきものです。
イエス様、あなたのようになることを切に願います。今日一日、他人をおとしめたり、現実に引きずり下ろしたり、自分が彼らより優れているような感覚を与えたりせずに、謙虚な心であることができますように。
祈り
「勝つこと」が当たり前のように追求されるこの世の中において、あえて「負ける」ことを選ぶことができますように。勝つことを毎日の原動力とせず、自分の利益のために他人を利用したりせず、自分よりも人を優先することができますように。
謙遜に満ちたイエス様、私が普段見過ごしてしまいがちな人がいます。今、その人のために祈ります。どうぞその人にあなたの恵みを与えてください。
祈り
今日の聖句を読み返しながら、自分が感じていることに注意を払います。
キリスト·イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス·キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
ピリピ人への手紙 2章5~11節(新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)
ここで少し時間を取って、この箇所が心に呼び起こす感情について思いを巡らせます。
ひととき静まる
周りの文化に迎合しなかったイエスの生き方に、感銘と畏敬の思いが溢れます。イエスは、受肉を通して自己を注ぎ切って捧げ続ける従順な生涯を生きられました。私はイエスの生涯に心を動かされ、今日、神が私に求められるどんなことにでも従う機会を楽しみにします。
祈り
主よ、私は今日、負けることを選びます。他人を犠牲にして自分が勝とうとするのではなく、謙虚に仕えたいです。私は、自分をあなたに委ねます。あなたに従いたいです。あなたが私に求めること何でも行います。
この祈りの時から始まる今日一日を過ごしていくにあたって、私を愛してくださる主は、詩篇138篇でこう語っておられます。
まことに主は高くあられますが低い者を顧みてくださいます。しかし高ぶる者を遠くから見抜かれます。私が苦しみの中を歩いてもあなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばしあなたの右の手が私を救ってくださいます。
詩篇138篇6~7節(新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)
父よ、私が今日という一日を存分に生き、
あらゆる面であなたに忠実であり続けられますように。
イエスよ、私が他者に自分を捧げ、
出会うすべての人に親切に接することができますように。
聖霊よ、私が失われている人々を愛し、
私の言動のすべてを通してキリストを宣べ伝えることができますように。
アーメン。