朝の祈り

たましいの牧者であり監督者

Kumiko Jenkins
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今日は9月11日金曜日です。今週は、「世界祈りの週間」のテーマを探求し、ピリピ人への手紙2章、特に10節の「イエスの名によって、すべてが膝をかがめて」という箇所を取り上げます。今週一週間、イエスに与えられたさまざまな名前について黙想し、私たち自身と私たちのコミュニティー、そして私たちの国の上に、イエスの名を宣言していきます。

今、祈りに入る前に、ひととき立ち止まり、心を静めます。息をゆっくりと吸い、ゆっくりと吐きながら、散らばっていた思いを一つに集め、神の臨在に向け直します。

主イエスよ、あなたはすべての上に高く上げられました。あなたの名は、天と地と地の下にあるあらゆる支配、力、支配者にまさるものです。

今日、私たちはイエスの名によって祈ります。すべてのひざがかがめられ、すべての舌が、イエスが主であると告白しますように。私たちに力があるからではなく、あなたにそう実現する力があるからです。私たちの計画が十分だからではなく、あなたの力が無限だからです。

私は今日、神の守りを喜び、詩篇71篇の言葉に込められた、古来より続く神の民の賛美に加わります。

今日の聖書箇所の前の部分で、使徒ペテロは読者に対して自分たちの生き方について考え、その行動や態度においてイエスに倣うようにと強く促しています。

私を導き守る羊飼いイエスの姿の表現に、深く感動します。イエスの導きと守りは私にとってあまりにも必要不可欠だからです。イエスの導きがなければ、私は簡単に混乱してしまいます。私たちの世界は複雑で、問題多く、気持ちが圧倒されてしまうことも少なくありません。そして、道を踏み外してしまうことは簡単で、だからこそイエスが与えてくださる守りと境界線が常に必要です。ヨハネの福音書10章で、イエスはこう言われました。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。」(新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)私に必要な導きを受け取るためにはまず、牧者の声に耳を傾けることを積極的に選ぶ必要があるのです。

主イエス、私のたましいの牧者であり監督者である主。私を導き、守ってください。私があなたの導きに耳を傾けることを選ぶとき、あなたの声を聞き取れるように助けてください。

主イエス、あなたが教会に置いてくださっているリーダーたちのために祈ります。彼らが、託された人々をあなたと同じ謙遜さと無私の心で牧し、見守り、仕えることができるよう、彼らを助けてください。

今日の聖書箇所を読み返しながら、聖霊が示してくれている言葉やフレーズに注目します。

ひととき静まって、聖霊が示される言葉やフレーズを吟味します。

イエスが、御自身の模範に従い、それによって他の人々の模範となることを私に期待しておられることに、深く心を打たれます。私の振る舞いや、周りの社会と関わる姿勢は、私と神との間の個人的な問題ではありません。イエスの足跡をたどって生きる心がけが必要です。信者に対してもまだそうでない人たちに対しても、迷いにある状態からイエスのもとへとさし示していくために、自分の言葉や態度、行動を用いていくべきなのです。これは大きな責任であり、真剣に受け止めるべきことです。

主イエス、私の魂を導き、牧してください。私の行動や態度に変えるべきところがあるなら、それらを示し、私が人々に対してよりよくあなたを指し示すことができるようにしてください。

この祈りの時から始まる今日一日を過ごしていくにあたって、私を愛してくださる主は、テトスへの手紙でこう語っておられます。

父よ、私が今日という一日を存分に生き、  

あらゆる面であなたに忠実であり続けられますように。 

イエスよ、私が他者に自分を捧げ、  

出会うすべての人に親切に接することができますように。  

聖霊よ、私が失われている人々を愛し、 

私の言動のすべてを通してキリストを宣べ伝えることができますように。  

アーメン。

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Lectio 365 Japanese